大阪の映像制作会社パワー・アイ

東日本大震災で考えさせられたドキュメンタリーの重要性

皆さんと同じように、このような大惨劇を見て、びっくり、声もでないくらいにショッキングな映像が次々とニュースから流れてきます。

そしてASDのことも少しも頭から離れず、震災から原発事故が起きたニュースを見て、あることがどうなるのかが非常に気になりました。そして案の定、新聞にもそのことが書かれました。

そのこととは・・・福島第一原発からほど近い福島県南相馬市で毎年夏に開催される相馬野馬追がどうなるのだろうか・・・と。

私は海外展開をするうえで、海外の人たちが興味を引く日本のトピックスの中から、サムライは絶対に引き付けるための重要なキーワードになると考えていました。

先ほどの刀の企画も、サムライの魂であったというところから出発しています。

東日本大震災で考えさせられたドキュメンタリーの重要性 で、相馬野馬追は今から25年前、東京にいたころに一度取材したことがあって、非常に印象に残っていたのです。甲冑を来た武者が馬に乗って行進し、空高く打ち上げた旗を奪い合う。

その様子は、現代に再現された戦国絵巻というキャッチフレーズがぴったり。そのような伝統が1000年も続いてきた。そして原発事故の放射能によって、今年の開催が危ぶまれていると。

もう直感的にこの企画をドキュメンタリーにしたい!と思いました。そしてこのアイデアに賛同してくれた仲間と共にリサーチに取り掛かり、震災の起きた年の相馬野馬追を自主的に取材をしました。大阪と福島を何度も往復しました。

そして震災の年の12月。

ASDの影響を受けて、
日本でも初の公開提案会議・東京テレビフォーラムの
第1回目が開催
されました。

このテレビフォーラムに相馬野馬追の企画で応募したのですが、企画の詰めが甘く、またピッチの舞台に立つことはできませんでした。

 東日本大震災で考えさせられたドキュメンタリーの重要性 ただし、実際に取材を続けてきたことで、この企画は世界に通用する企画になるという自信みたいなものは持っていました。そして震災の翌年、ASDは東京で開催されることになるのです。

この時、世界が注目する東日本大震災のその後というテーマで、総務省が補正予算を使った国際共同製作の枠を公募、この相馬野馬追の企画を提出しました。制作には、共同パートナーの会社が提出。

私自身はもう一つ、原発事故をテーマにした「被曝した牛と農家」という企画を出しました。そこで、福島の「相馬野馬追」企画が採択され、シンガポールに拠点を置くヒストリーチャンネルが共同制作のパートナーとなることで決まりました。2011年、2012年の2年間取材し、1時間のドキュメンタリー番組が完成。

「Samurai of Fukushima」という番組名で、アジア25か国で放送されました。

海外に通用するためのドキュメンタリーの作り方をヒストリーチャンネルを通じて学ぶことになりましたが、ひとつ

目指していたことがシャワーのような
アップテンポで飽きさせない編集

をしようという目標がありました。

日本語という言語は、文法的に結論が最後にくる構造になっているため、前置きが長く、英語と比較して、インタビュー編集するのが非常に難しいと言われています。結果的に、どうしてもスローなテンポになってしまいます。

東日本大震災で考えさせられたドキュメンタリーの重要性ヒストリーチャンネルはアメリカではディスカバリーと並ぶ、非常に大きな放送局。 世界160ヶ国、3億世帯が視聴する世界最大の歴史エンタテインメント専門チャンネルで、エミー賞をはじめ、数々の有力テレビ賞を受賞!「あなたの知的好奇心を満たす歴史エンタテインメント専門チャンネルというキャッチコピーがピッタリの人気チャンネルです。

そのアジア戦略のベースがシンガポールにあって、アジア25か国に放送しているわけですが、番組編成もアメリカ本国と違って、アジアで制作されたものも放送されます。

しかしながら、番組のテイストは、やはりアメリカ風。非常にアップテンポ、視聴者が1分見ても飽きさせない工夫が製作者に求められます。

その
NHKの質の高いドキュメンタリーでも、
世界からはオールドスタイル

の制作手法だと言われています。

そういったこともあって、あのNHKでさえ、海外の番組販売ビジネスは成功していないわけです。最近はそのあたりもかなり意識して、初めから海外を狙い、アップテンポで編集した番組も作ったりされているようですが。

やはり海外展開に関して、一番ノウハウを持っているのはNHKです。 2002年に韓国KBSで放送された「冬のソナタ」。韓国国内でもヒットしたこのドラマを 日本のNHKがいち早く目をつけ、版権を買い付けたわけですが、当初は局内でもこんな番組はヒットなんてありえない・・・という否定的な意見が多かったそうです。

ところがあの空前の大ヒット。ノウハウのあるNHKでさえ、売れる売れないを見極めるのが難しいというのが海外展開です。

 相馬野馬追を題材にした国際共同製作を経験し、次のステップを目指し、
2013年のマレーシアのクアラルンプールで開催されたASD にもまた挑戦しました。 3度目の挑戦です。

3度目のASDから学んだ経験

私は、日本刀の企画を諦めきれず、ずっと温めてきました。
何故、日本刀企画の反応が良くなかったのか、もう一度振り返ってみましょう。

①企画にストーリー性がない。単に刀の作り方の紹介をしているだけ。
⇒これに対しては、刀を作る刀鍛冶にスポットを当てたヒューマンドキュメンタリー
それも師匠と弟子という人間関係を深く描く作品とする

②物語の主人公となるべきキャラクターが不在
⇒奈良に在住する日本でもトップランクの刀鍛冶・河内国平さんを主人公に

③世界の視聴者が見るべき普遍的なテーマがない
⇒失われていく伝統技術。残していくべき大切な遺産であるとのアプローチを・・・

④また何故今なのか?というチェックポイントには、
⇒このまま放置していくと、1200年以上にもわたる刀の製造方法が消えてしまう
その技術を追いかけている河内国平さんはもう70歳を超えている。時間がない。

という風に企画を改良していきました。

企画名も「Master and His Last Disciple」日本名は「鬼の師匠と最後の弟子」というタイトルにしました。これまでの海外との人脈関係から、事前にこの企画に対して、反応を探りました。

そして、オーストラリアのディストリビューターから、好感触の返事がきました。 さあ、これで重要な問題点はある程度クリアーできた。応募しました。

ここで大切なポイントは、ピッチングの舞台にまず立つということです。
このピッチングに立つためには条件があります。

  • ●すでにどこかの放送局が企画をサポートしている
  • ●もしくは放送局・配給業者・公的機関がサポートする意思を示した書類がある

3度目のASDから学んだ経験 このどちらかの条件を満たさないと、ピッチングに選出されないのです。
このことも最初から分かっていたのではなく、あとから知ったことです。

そこで、少し親しくなったオーストラリアのディストリビューターに推薦状を書いてほしいと お願いしました。そして、快く承諾し、推薦状も手に入れました。 推薦状にもランクがあるのですが、私が手に入れた推薦状は一番軽い約束の物でした。

軽いものから順に紹介すると・・・

一番軽い この企画に興味を持っています・・・・The Letter of Interest
この企画に出資する意思を持っています・・・・・The Letter of Intent
この企画を必ず放送します・・・・・・・・・・・The Letter of Commitment

このような3段階の推薦状のいずれかが必要となります。

実はその前年のASDでは、相馬野馬追はすでに総務省が予算をつけて企画は進んでいました。もう一つ私が原発事故で被ばくした牛を安楽死させずに生かし続けている農家の苦悩を描くドキュメンタリー企画がピッチングの候補に挙がったのですが、この推薦状をどこからも貰えなかったことで、残念ながら企画を大舞台に挙げることができませんでした。

震災の企画はたくさんあったのですが、その中でも非常に良い感触を得ていた企画だったのです。

このように、企画さえ良ければ・・・という点に加えて、さらに推薦状もしくは放送局のサポートが確約されていることが必要であることを知ったわけです。

ここまで3年間。あと一歩というところまで来た マレーシアのASDで、あと一歩。というところまで来ていながら、やはり撃沈でした。 この時の撃沈は、これまでと違って、もう少し時間が経過して、企画をブラッシュアップしてから、もう一度話を聞こうという反応が出てきたからです。

ここまで3年間。
あと一歩というところまで来た

わけですが、その壁はまだ高かったわけです。

しかしマレーシアに行った甲斐はありました。3年連続で無謀にもASDというドキュメンタリーの国際提案会議に参加してきたため、顔を覚えてもらった放送局の決定権者も多くなってきたからです。そして、この後にお話しするブータンの国営放送局の関係者と懇意になるのです。

思いがけないきっかけブータンとの出会い

マレーシアでは、滞在するホテルをちょっと無理して、海外の放送局の決定権者たちが泊まるホテルと同じところに宿泊しました。そうすることで、会場の外でも、彼らとミーティングするきっかけがつかめると思ったからです。ホテルの朝の食事は、ブッフェスタイル。

決定権者同士は同じように世界をラウンドしているため、仲がよく、違う国の放送局同士が仲良くお話ししながら食べています。

私はそれほど英語が堪能でないので、その中に積極的に入っていくことができませんでした。そんな中で私と同じように一人で朝食を食べている顔見知りの人がいました。

それが

ブータン国営放送局の最高責任者のドルジさんでした。

それがブータン国営放送局の最高責任者のドルジさんでした。 日本人とブータン人は顔つきもよく似ているし、片言の英語なので、私としては非常にとっつきやすい存在でした。

すでに前年の東京で開催されたASDのミーティングでも話し合ったことがあるので、気軽に話しかけることができたのです。さらに私自身、学生のころからブータンには一度は行ってみたいと思う憧れの国でもあったわけです。

マレーシアを離れる最終日に、彼と話す機会がありました。ブータンに私の企画を売り込んでも予算がないから無理であることは解っていましたので、既に完成した高野山の番組販売の話を持ちかけました。

▼高野山の英語版の版権を買ってほしい
▼ブータンの国営放送局は予算が少ししかない
▼サンプルDVDを渡す
▼彼の帰国後、制作部長となる担当者から、是非とも「高野山」を放送したいという話がくる
▼しかしながら買うための予算がない
▼何か良い手立てはないか?・・・・丁度、総務省が国際共同製作の公募を開始した

この国際共同製作の作品を作る間も、また次の展開にチャレンジ。

昨年にチャレンジした東京テレビフォーラムも、名前をTokyo Docsという名称に変更。よりドキュメンタリーに特化した企画提案会議の場となりました。DOCSというのはドキュメンタリーを短くした略語です。

続く・・・
このページの先頭へ