「被ばく牛と生きる」は、
10月28日より東京・ポレポレ東中野ほか
全国で順次ロードショー。

経済価値が
無いからと言って、
被ばく牛の殺処分に
合意できますか?

原発事故から2か月後、国は“警戒区域にいる全ての家畜を殺処分する”指示を出す。避難を強いられる農家は、涙を飲んで殺処分に応じるしかなかった。しかし十数軒の畜産農家が被ばく牛を生かそうと決意した。住んではならない警戒区域の中に住み、また数十キロ離れた避難先の仮設住宅から通い、被ばくした牛の世話を続けている。被ばく牛を生かす唯一の道、「大型動物による世界初の低線量被曝研究」に役立てること。国策による事故でありながら、国は全人類にとって必要なこの研究から手を引いていく。事故翌年、牛に原因不明の白斑が出現。大学研究者は原因を調べるも、被曝との因果関係を立証するには、さらに数年の時間がかかると言う。原発事故で、故郷も仕事も奪われながらも、経済価値のない牛を生かし続ける畜産農家の心情を5年間にわたって丁寧に記録した作品です。

被ばく牛を生かし続ける農家の
群像を描いた問題作

吉沢 正巳さん
吉沢 正巳さん
南相馬市小高区と浪江町にまたがる牧場で300頭以上の被曝牛を生かし続ける。被曝牛は原発事故の生き証人との考えから、牧場名を「希望の牧場」に変えた。絶望の中に少しでも希望を見出したいとの考えからだ。原発事故から1週間後の3月18日の朝、被災者として東京電力本店で直接事故の悲惨さを訴えた。日本全国、宣伝カーに乗り、原発事故の悲惨さを訴えている。
池田 光秀さん
池田 光秀さん
原発の立地村・大熊町で5代目となる畜産農家。小規模経営のため、平日はサラリーマンとして働く光秀さん。賠償金を取り崩し、牛の餌代に充ててきた。夫婦で愛情深く牛を育ててきただけに、殺処分には断固反対している。
山本 幸男さん
山本 幸男さん
30年以上浪江町の町会議員を務め、原発を推進してきた有力者。牛を生かすことは故郷を守ることに通じるとの信念を持ち、避難先の二本松市から浪江町の牧場に通い続けている。
柴 開一さん
柴 開一さん
浪江町の中でも最も放射線量が高い地区にある牧場主。50年近く牛と共に暮らしてきたが、柴牧場の隣の空き地が汚染物の仮置き場に指定されたため、重大な決断をすることに…。